職場におけるセクシュアルハラスメントの相談を受けた際、担当者が最初に直面するのは「断片的な情報」という壁です。
「ひどいことをされた」「肩を抱かれた」「耳をなめられた」……。 こうした衝撃的な行為の報告を受けると、私たちは即座に加害者への怒りを感じ、すぐにでも処分を検討したくなります。しかし、実は初期の段階では、被害者が「どこでそれが起こったか」を頑なに伏せているケースが少なくありません。
なぜ、場所を特定することが重要なのか。そして、なぜ被害者はそれを言いたがらないのか。今回は、事実確認のプロセスにおける「ヒアリング」の真の価値について考えます。
「場所」を言えない被害者の心理
ある事案では、被害者は当初「不快な接触があった」ことだけを訴え、具体的なシチュエーションについては言葉を濁していました。しかし、信頼関係を築きながら慎重にヒアリングを重ねた結果、ようやく重い口が開かれました。
「実は、二人きりの個室で飲んでいる時でした。しかも、それが初めてではなく、何度か二人で飲んでいた時の出来事なんです」
被害者がこの事実を隠したかった理由は明白です。「二人きりで、しかも個室でお酒を飲んでいたのなら、自業自得ではないか」「誘いに乗ったあなたにも非がある」という、周囲からの二次被害(セカンドハラスメント)を恐れたからです。
しかし、この「場所」と「状況」の情報こそが、事案の性質を決定づける極めて重要なピースとなります。
ヒアリングなしには見えてこない「事実の全体像」
被害者が場所を隠したまま調査を進めてしまうと、組織は誤った判断を下すリスクがあります。ヒアリングによって「酒席の個室」という事実が判明したことで、調査の視点は以下のように深まります。
① 『NO』と言えない空気
「耳をなめる」という行為は、通常では考えにくい異常な接触です。しかし、それが「何度か二人で飲んでいる」という関係性の中で起こった場合、加害者側は「親密な関係だと思っていた」「合意の上だと思っていた」と主張する可能性が高まります。 一方で、被害者側は「仕事の延長だと思って断れなかった」「以前は何もなかったから油断した」という心理状態にあったかもしれません。この「場所と状況」が判明して初めて、双方が抱いていた主観的な認識のズレを検証する土俵に立てるのです。
②何度聞いても、話がブレないこと
密室での出来事には、録音や目撃者といった直接的な証拠がないことがほとんどです。その場合、判断の拠り所となるのは「話の具体性と一貫性」です。 「場所はどこか」「どのタイミングでその行為があったか」「その時、個室のドアは閉まっていたか」といった詳細な状況をヒアリングで引き出すことで、その証言が信用に値するかどうかを判断する材料になります。
「被害者の声を鵜呑みにしない」ことが、結果的に被害者を守る
「被害者の声を鵜呑みにせず、ちゃんとヒアリングしよう」と言うと、一見、被害者を疑っているように聞こえるかもしれません。しかし、これは「被害者の証言を、誰からも否定されない強固な事実へと磨き上げる作業」なのです。
もし、場所や状況を曖昧にしたまま加害者を追及すれば、加害者側からの反論(「あの場所はオープンな席だった」「酒席での冗談だった」など)によって、被害者の主張が崩されてしまうリスクがあります。

①先入観を持たない: 「被害者がこう言っているから、加害者が100%悪い」と決めつけない。
②多角的な質問: 嫌なことを聞くようですが、「なぜその場所に行ったのか」「その時、周囲に助けを求められる状況だったか」を確認する。
③加害者の弁明権: 同様に、加害者側にも「その場所で何が起こったと認識しているか」を問う。
このプロセスを経て得られた事実は、もし裁判になったとしても揺るがない「組織としての判断根拠」になります。
密室事案における「社外相談窓口」の決定的役割
今回のような「酒席」「個室」「複数回のサシ飲み」といった要素が絡む事案では、社内の人間がヒアリングを行うことには限界があります。
密室での酒席が絡むセクハラ事案において、社外専門窓口の活用は多角的なメリットをもたらします。
まず、社内の利害関係がない「第三者」であるため、被害者は羞恥心や罪悪感を抱くことなく、フラットに事実だけを話せる「心理的な安全性」を得られます。
また、プロの担当者は、場所が「個室」であると聞いた瞬間に、業務内か私的会合かを法的視点で切り分けます。たとえ酒席であっても、行為の背景にある「職権(パワー)の利用」の有無を正確に見極め、的確なリスク管理を行います。
さらに、外部による中立的な調査結果は、社員に対し「会社は公平に調査している」というメッセージとなり、組織の透明性を高めます。これは他の被害者を勇気づけるとともに、不当な訴えの抑止力にもなります。
社外窓口は、被害者対応、事実認定、組織の信頼維持のすべてにおいて不可欠な役割を担います。
相談窓口担当者が持つべき「聞く力」の心得
ヒアリングを成功させ、隠された「場所」や「状況」を引き出すためには、担当者の姿勢が問われます。
ジャッジしない姿勢: 「なぜそんな店に行ったんですか?」という問いは、被害者には責められているように聞こえます。「その時の状況を正確に把握して、あなたの主張を裏付けたいので、詳しく教えてください」と、目的を共有することが大切です。
沈黙を恐れない: 密室での出来事を思い出すのは苦痛を伴います。被害者が言葉に詰まったとき、焦らせずに待つことで、隠されていた重要なディテール(場所や前後の会話)が出てくることがあります。
記録の徹底: ヒアリングで得た情報は、その場ですぐに記録し、双方が内容を確認する。これが後の「言った・言わない」を防ぐ最大の防衛策です。

事実解明の先にあるもの
セクハラ事案、特に「肩を抱く」「耳をなめる」といった身体的接触が伴うものは、被害者の心に深い傷を残します。だからこそ、私たちはその訴えを真摯に受け止めなければなりません。
しかし、感情的な同調だけで動くことは、解決を遠ざけます。 最初は場所すら言えなかった被害者が、誠実なヒアリングを通じて「実は……」と真実を話し始める。そのプロセスこそが、ハラスメント対応の真髄です。
「被害者の声を無視しない。しかし、鵜呑みにもしない」
この冷静で公平なスタンスこそが、最終的に被害者の尊厳を守り、加害者に正当な責任を取らせ、そして組織の健全性を保つための唯一の鍵となるのです。もし社内での対応に限界を感じるなら、迷わず社外の専門窓口を頼ってください。そこには、真実を解き明かすためのプロの視点があります。